昔、中学に上がる直前、
一人で自宅から総曲輪の清明堂まで
本を買いに行った記憶がある。
奥田中学から
当時俺が歩いたルートを
もう一度たどってみようと思う。
奥中から西へ向かうと、永楽町の交差点。
そこから更に先へ向かう。
八田橋を越えてY字路を南へ。
雄峰高校を左にして進むと
駅のガード下だった。
ガード下を潜って出ると、
正面は富山郵便局、
右手は地鉄ビルだった。
市電は目の前の道を南へ折れ、
電気ビル、
荒町、
西町
へと向かうのである。
バスすら乗れないびびりな俺が、
市電などとんでもないことだった。
どうやって乗ったらいいかも解らなかった。
もとえ
まずは歩いて清明堂だ。
その為には郵便局側の歩道へ
移らねばならない。
まず地鉄ビル側に移る。
そして郵便局側の歩道だ。
どちらも歩行者信号があって
中学間近の俺でも楽々渡れた。
富山郵便局前の歩道を
西へ向かう。
駅前ユニーがこのときあったかは
記憶にない。
ただマリエは確実になかった。
駅前交差点直前
駅前シネマの隠れ口を越えて、
三井信託銀行だった角を南へ曲がる。
そうして41号線を南へ向かうのだ。
道路の向かい側にはCICでは無く、
スダビルが見え、
すこし南に歩くと白十字があった。
白十字の奥は昔風の闇市ような店が並び、
ぬけて太閤飯店に向かう小さな通り
(今のCIC裏である)から飲み屋が続く噴水公園まで道には、
電化のサンキョウがあって2階がラジオパーツの店だった。
いかぬ、余計な事を書きすぎた。
スダビルや白十字、
電化のサンキョウは
別の機会に書くべきであろう。
ともあれ清明堂である。
三井信託を曲がった俺は
南へ南へと向かう。
地図がないのだ残念なのだか、
ここで南東に向かう大きめの道がひとつあるのだ。
昔から不思議な道であったが、
これは旧市電のルート跡であった。
富山駅は昔の神通川の対岸、
牛島地区に作られ陸の孤島だったのだ。
松川から朝日生命ビルあたりまで
旧神通川の河川跡であり何も無い荒野だったのである。
旧市街地と富山駅を結ぶ連絡橋があり、
その橋から駅へ道跡がこの斜めの道なのだろう。
41号に接続する道の南に富タクがある。
富タクの停留所を抜け、
とん平の横を通り、
そばやのつるやの向こうが
朝日生命ビルだった。
この朝日生命ビルから、
松川までが、
旧河川跡で何も無い荒野だったらしい。
富岩運河を作った際に出た土砂を使い、
この荒野を埋め立て、
市役所や県庁を作ったのである。
だが、清明堂に向かって歩く俺は、
そんな歴史のことなど知らぬ。
無心で歩くと言えば語弊があるだろうが、
本屋へ。
ただそのことのみ思い、
足を進めている。
市役所を過ぎ、
塩倉橋を越え
明治生命と日本生命のビルを越える。
明治と日本東側は桜木町だ。
この両ビルの間に、
音楽喫茶があったと思うのだが
記憶は朧であった。
城址公園を右手に見て、
斜め右に公会堂の姿を確認すれば、
総曲輪通りはすぐそこにある。
横断するのは旧8号線、
向かい側にあるのはガソリンスタンドで、
いつコンビニになったのかまるで覚えていない。
別院の横を通り
パチンコ屋を抜け、
大黒のそば屋の横に総曲輪通りの入り口があった。
ここを左に曲がればすぐにあったのが清明堂である。
実のところ、
清明堂の書棚2冊の本を見つけた記憶あるもののどうやって買ったか、
帰りはどうしたかかの記憶がない。
おそらく同じ道を使って帰ったのだろう。
新ルートを開拓しようなどという冒険心は
俺にはなかった。
ところで俺が何を買ったか説明すると
グレーレンズマンと三惑星連合軍である。
そのころの俺はなりたてのSF少年だったのだ。